ZEROからの帰還

禁欲・断酒・自己改善・筋トレ・禁煙・読書・冷水シャワー・瞑想・アラフォー

ZEROからの帰還

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こんばんは。

 

今日は時間がある。

(とはいえ、夜はもう遅いですが)

そして少しエネルギーもある。

 

今私はやや安定した毎日を過ごしています。

(主にメンタル面において)

 

ですが、それは綱(つな)のようなもので、

大きな一本に見えるようでいて複雑な一本一本が絡まり合って何とか形をなしている。

その1本1本を紐解くには大きなエネルギーを要します。(そのように思っているだけなのかもしれないが)

 

私は18歳の頃、一度感情を失いました。うつ病です。

きっかけは違法薬物です。

それはそれは、真っ逆さまに転がり落ちました。人間がまるで変わったようです。

私はもともとドロップアウトした人間であり、違法薬物も身近にある環境でした。

大麻覚せい剤LSD・MDMA・果てはライターのガスと、一通りやりました。

その中でも、約1ヶ月覚せい剤でこもり切りになり、気が付くと重めのうつになっていました。

とにかくやる気が起きない。楽しくない。人目が気になる。死にたくなる。

悩みました。人にも会いたくない。

私は当時地元の不良仲間達に少しは顔が利きましたが、どうにも悩んで「いのちのでんわ」を掛けたりしていました。

不良集団(簡単に言えば暴走族ですが)のNO2がいのちのでんわ。

街を我が物顔で歩いていた時期でした。(今思えばちっさなコミュニティですが笑)

周りには言えませんでした。

 

高校も辞めており、いつまでも親も住まわしてくれないので、

寮付きの仕事を始めました。

 

18歳で派遣工場員として寮に住込みで仕事。

うつも完快していない。

楽しみといえば、仕事が終わったあとの酒。

私は一度ここで中程度のアルコール依存症になっています。

(今振り返ればです。当時はアルコール依存症=仕事もしないでウイスキーの瓶を持ち歩いてる俗に言う「アル中」だと思っていたのでおかしいとは思っていませんでした。)

 

それから違法薬物を常用する事はありませんでしたが、薬物の代わりにアルコールを摂取するといった面も大きいです。

それだけ違法薬物は身体的・精神的依存があります。精神的依存は一生消えないでしょう。アルコールも一緒ですが。

 

年齢も20歳になりました。

変なプライドもあり精神科に行く事はありませんでした。

この頃になると、ビールをしこたま飲み、ワインを何本も空けて翌日仕事に行けないといった事もありました。

 

21歳になったころ、地元を少し離れていましたが久々に会った友人に違法薬物を貰い、さらにその友人が持っていた向精神薬を大量に飲み、翌日仕事を休む。

この頃は死んでも構わないと思っていましたが、シラフになった際、これはまずいと思い精神科へ。

そこから約10年近く精神科に通いました。

 

2週間に1回の通院でしたが、26歳辺りからは彼女が付き添ってくれるようになりました。

それが今の嫁です。

今思えば感慨深いですね。

 

2回医師は変わってますが、ほとんどの期間を担当していた医師、だいぶビジネスライクな医師でした。ほいほい薬を処方する(というか処方したがる)、減薬・断薬をしようにもまともなアドバイスをしない。

医師はきちんと選んだ方が良いです。

対照的に、減薬が軌道に乗ってきた矢先に転居する事になり、その転居先の医師は真の精神科医でした。

 

年内にこの辺りのくだりは一度記事にしておきたいと思っていました。

18歳から30代前半ぐらいまで、私は失った感情を取り戻す事ばかり考えていました。

過去ばかり見ていた私も今は前を見れるようになりました。

学校に行けば良いという訳ではありませんが、再入学等々で何とか大学卒業までこぎつけました。

 

何を言いたいかというと、禁欲をしていても人生は好転していないかもしれない。断酒をしていても人生は好転していないかもしれない。でも、人生いつ好転するか分からない。

断酒が上手くいっていないかもしれない。色々な依存と立ち向かっていて苦しい最中かもしれない。メンタルが快方に向かっていないかもしれない。

「~すれば良い方向に向かう」なんて安易な事は言えません。ただ、私はZEROから帰還しました。いつトンネルを抜けるかは分からないのです。